La sabbia d'argento ~銀の砂~

我が道を行くレイチェルのスピリチュアルな日々



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旅人が宿で疲れた体を休めてから、

また旅に出るように。


私たちにも、

ほっと一息ついて、

考える時間が必要な時があります。



La sabbia d'argentoでは、

そんな想いのもと

「あなたがあなたらしく生きる」ための

スピリチュアルセッションを提供しています。


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常識の境界線

「人はみんな自分が正しいと思って生きている」

これは以前、NLPやコーチング、心理学を学んでいる時によく聞いた言葉です。

自分が正しいと思って生きているというのは、
生まれ育った環境によって育まれたその人の常識のようなもの。

人々の常識というのは各家庭で違うし、社会や時代の流れによっても移り変わります。


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たとえば、Aさん、Bさん、Cさんの3人がいて、それぞれの常識を円で表すと
重なっているところは似たような常識を持つ部分。
交わっていないところは、各々の常識部分。

Aさん、Bさんは重なる部分があるので、お互いに受け入れやすいかもしれませんね。
Cさんは2人と接点がないので、それに対してどう思うかはAさん、Bさんの次第です。

たとえばAさんが、自分と重なる部分がなくても相手を尊重できるタイプなら
Cさんみたいな人もいるんだなと思うだけでしょう。
相手を尊重できる人は、他の人からも尊重されるでしょう。

一方、Bさんが自分と重なる部分がない人は受け入れられないタイプだとすると、
何かにつけ自分の正しさ(常識)をCさんに押し付けようとするでしょう。
とくに、これは自分より下だと思う相手に対して出やすいんですよね。
不思議なことに、たとえ重なっていなくても自分より上だと思う相手や
憧れる相手にはあまり出ないんです。

許容範囲って人それぞれですから、自分の常識と重なっていなくても
受け入れられる場合もあれば、そうでない場合もあるでしょう。

社会全体の常識は、誰がというより集合意識が決めるのでしょうが、
常識には大まかなゾーンがあって、そこになんとなくでも入っていると常識とされ、
そこから外れると非常識となっているように思うのです。

今日常識だと思っていることが、明日には非常識になっている
なんてこともあるかもしれません。


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