La sabbia d'argento ~銀の砂~

我が道を行くレイチェルのスピリチュアルな日々



現在、2017年7月までのセッションご予約受付中です。

7月は遠隔ならびにSkypeのみの受付となります。


☆       ☆       ☆


旅人が宿で疲れた体を休めてから、

また旅に出るように。


私たちにも、

ほっと一息ついて、

考える時間が必要な時があります。



La sabbia d'argentoでは、

そんな想いのもと

「あなたがあなたらしく生きる」ための

スピリチュアルセッションを提供しています。


logo1_LSDA

★セッション情報はHPをご覧くださいませ。


セッションは遠隔・メール・skype・skyphoneでも行っていますので、
遠方の方もお気軽にお問い合せください。





2012dragon_kyoto


PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

岐路

9日の重陽(ちょうよう)の節句を迎えたあたりから体が軽くなった感じがしていましたが、
13日の新月を経てそれが進んだ感があります。
例えるなら、まとっているエネルギーの衣替えのような感じかな。

「人の心や人として」について深く考えさせることがいろいろ起こっていて、
何が正解なのかは分からないけれど、どうしたものかと頭を悩ましています。
みんなで持ち寄ればいい知恵が得られるんじゃないかと思うんですが、
人の中にある誰かより上に立ちたいという優越感や猜疑心などが
壁を作り物事を分かりづらくしているような気がします。

例の本、あれから全然進んでいませんが、
「お互いを尊重しあう」ということ一つを考えてみても、
そこに何が絡むかによって簡単そうで難しい問題になります。

子どもの頃、人には平等に接しましょうと言われて育った人は少なからずいることでしょう。
私も、その一人ですが、ある時ハタと思いました。
これってすごーく勘違いしやすいけど、人生は平等じゃないよね。
人には平等に接するということと、人生が平等かどうかは全くの別物。

そう、人生は平等じゃありません。

この大前提が分かってないと、自分だけ不幸であの人だけ幸せで悔しいと
負のループに陥ります。

一人ひとり違う生を生きています。
その内容もボリュームも試練も喜びも人それぞれ。
全く同じように平等な人生なんてありません。

声高に平等平等と言うから、何でも平等と勘違いしやすいけれど、
何かしらの条件がついていることが多いのではないでしょうか。
法の下に平等だとか、平等に接するとかね。
差別をしないという意味での平等はあるのでしょうが、区別は必要でしょ?

じゃあ、差別と区別の違いはどこ?

結局、平等というものは人や社会にそれぞれにゆだねられているのではないでしょうか。
私たちがどんな選択をするのか。
それによってどのような社会になっていくのか。

古い価値観を揺さぶって揺さぶって、新しい価値観を生み出していく。

大きな変化の前は、兆しがあらわれるといいますが、
私たちはそんな岐路に立たされているのかもしれませんね。


関連記事

| つぶやき | 20:16 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT













非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT